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『さよならテレビ』―テレビが民主主義の砦になる日まで

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テレビ離れ」という言葉が世に出て久しい。「テレビは観ない」という姿勢がクールだったのは一昔前の話。いまでは自宅にテレビがないのも珍しくなくなった。

一方で、時事通信の調査では、まだまだテレビの影響力が強い現状が確認される。10代〜20代の約1割が「見ていない」と回答したが、逆に言えば若者の9割はテレビを観ているのだ。年末になればTwitterは「THE MANZAI」や紅白歌合戦の話題で染まり、人気ドラマの最終回の日はそのタイトルが必ずトレンド入りする。地方在住の人ほどテレビが娯楽の中心である傾向が強いだろう。日本のマスコミの頂点にはいまだテレビが君臨しているとも言える実態がそこにはある。

そんな絶対王者としての自負と、そこからの凋落を自覚したテレビマンたちが、一本のドキュメンタリーを制作した。その名も『さよならテレビ』。東海テレビのドキュメンタリー班が自社の報道部を取材。「テレビはいまどうなっているのか」を明らかにしようと試みる。


薄っぺらいメディアリテラシーはもういらない!映画『さよならテレビ』予告編

東海テレビの失態

『さよならテレビ』を制作した東海テレビは、過去にテレビ史上に残る重大な放送事故を起こした。2011年8月4日、ワイド番組の通販コーナーで、突然番組内容とは関係のないテロップが流れた。そこには、「岩手県産のお米・ひとめぼれ3名プレゼント」の当選者として、「怪しいお米 セシウムさん」などと岩手県を誹謗中傷するような文言が並んでいた。この「セシウムさん騒動」を忘れないようにと、東海テレビは毎年8月4日に放送倫理を考える全社集会を行っている。

『さよならテレビ』が映し出すテレビマンの実態

ドキュメンタリー『さよならテレビ』では、主に3人の現場社員に密着取材を行う。一人目は東海テレビのエースキャスター、福島智之アナウンサー。同テレビ局の夕方の情報番組「One」のメインキャスターとして活躍する。福島アナは「セシウムさん騒動」時に番組MCとして出演していた。視聴者へ謝罪をした福島アナへの誹謗中傷もあった。彼は以降「自分が本当に分かっていることしか言いたくない」と口を閉ざす。「キャスターに向いていないんですよ」と言うにも関わらず、上司は「次期は福島推しでいくから」と、福島アナを全面に押し出した番組ポスターを作成。電車の車体広告に福島アナの顔が無数に並んでいる様はまさに悪夢だ。
二人目はベテラン記者の澤村慎太郎。不安定な契約社員であり、普段は「Zネタ」と呼ばれる企業から依頼を受けた取材を行っている。カメラを前にした澤村は「記者こそ民主主義の最後の砦」と青臭く語り、ドキュメンタリーの取材クルーにも「ドキュメンタリーは現実ですか?カメラがあるという状況は現実なんですか?」と問いかける。理想家で誠実な記者だ。
三人目は新人記者の渡邉雅之。東海テレビが現場の人手不足を解消するため雇い入れた派遣社員だ。ヘラヘラとした笑顔で言葉も覚束無い渡邉は、記者歴二年という触れ込みで着任したが、仕事上のミスが重なり次期の契約更新が危ぶまれる。「なべちゃん」と呼ばれファニーな笑顔が愛される彼でもあるが、「新入社員を育てたほうが会社的にもいいだろうし」と焦りを隠せない。
彼らを怒鳴りしごくのは番組の編集長やデスクたち。「悪者」のおじさんたちはドキュメンタリーの撮影にも冒頭から疑義を呈する。

視聴率、民主主義、物語

『さよならテレビ』には、テレビに関する様々なトピックが散りばめられている。記者やテレビが「民主主義」に果たす役割。記者としての「取材」の難しさや正当性。「高視聴率獲得」のために編成される放送内容。テレビへの信頼の失墜。福島アナ、澤村記者、渡邉記者、編集長やデスク、局長、そしてドキュメンタリー制作チーム。彼らの物語が複雑に絡み合い、やがてテレビが混沌とした現実を「構成」することの功罪へと議論は流れ着く。
本作はラストの挑発的な演出にも注目が集まっている。それはまさに物語化、構成、番組としての成立に対する疑問への、一つの回答になっている。さらに本作は澤村記者が言及するところの「ジャーナリズム」を体現していない。すなわち記者がギリギリまで考えて問題の解決策を提示するには至っていないのである。これがいまのテレビの現実だ。テレビがいつか、民主主義を支えるメディアに生まれ変わることを祈っている。その日まで、いちどテレビに「さよなら」を言う。


『さよならテレビ』はポレポレ東中野で公開中。以降全国にて順次上映予定。