ノクトゥア

大学生のための「思考の種」

アゴン、ビジネスゲーム、鏡の中の鏡―迷宮

『現代文化論 新しい人文知とは何か』第2場 遊びから文化へ―吉見俊哉

社会学者カイヨワは、遊びの4つの類型を提示している。「アゴン」「アレア」「ミミクリ」「イリンクス」だ。
アゴン」は競争ないし闘争の形をとる遊びで、勝負の初めにチャンスが平等に保証されており、競技者のたゆまぬ努力や勝利への意志、能力が結果に決定的な影響を及ぼす。スポーツ競技やチェス、将棋、囲碁などがこれにあたる。
「アレア」は偶然の遊び。サイコロやルーレット、富くじに見られるこの遊びの場合、勝負の初めにチャンスの平等が保証されている点はアゴンと同じだが、アレアは努力、訓練、忍耐、能力と言った価値を否定し、参加者に偶然の運命に身を委ねることを要求する。
「ミミクリ」は、遊戯者が架空の人物になり、それにふさわしく行動する遊びを指す。ものまね、ままごとやごっこ、コスプレや演劇など、演じることがその楽しみとなる。
そして「イリンクス」は、めまいの追求に基づく遊びだ。コマ遊び、ブランコ、ジェット・コースターなど、一時的に知覚の安定を破壊し、意識をパニックへと陥れていくことにより、遊戯者を受動的な状態に置く。
カイヨワによれば、文明化とともに遊びの世界も、仮面と恍惚を中心にしたものから、能力と運を中心にしたものへと移行するという。
Netflixのドキュメンタリー「世界の”今”をダイジェスト」は、ある回でeスポーツを取り上げ、これに反対する人々の声を紹介した。ゲームがスポーツだなんて納得できない、汗をかかないのに、スポーツとは呼べない、など。しかし旧来のスポーツも、eスポーツもアゴン的な性質を持っている。言い換えれば、スポーツとは、アゴン、なのかもしれない。テクノロジーを駆使したアゴン、eスポーツこそが、高度に文明化した社会の、最先端の遊びとも言えるだろう。

現代文化論 (有斐閣アルマ)

現代文化論 (有斐閣アルマ)


まとめて6社の早期内定を狙えるイベント【人事・経営者らによるフィードバック付き】(就活イベント)

日曜の朝早くから、六本木の会議室で行われる就活イベントに参加してきた。大学生約40名がビジネスゲームに取り組む姿を、成長企業とされる会社6社の人事が評価し選考する。高い評価を得られた学生は特別選考ルートに進み、良ければ内定を得ることができる、というものだ。初参加で緊張していた。
ゲーム後の座談会で、僕はオープンハウスの若手社員の話を聞いた。新卒2年目にして年収900万円をもらっているという。ボーナス500万、月給12ヶ月分400万。こんなに高いものなのか。コンサル事業のレイスグループは、社会人1年目にして年収460万であった。20代後半男性の平均年収が378万であることを考えれば、その額は十分魅力的だ。
ぼくはエニアグラムでタイプ3にあたる。負けず嫌いな成功主義者で、「良い仕事をして高いボーナスをもらったり、昇進することを期待」する。どれだけ大変でも、給与の高い企業に入りたい、というのはわかりやすい。モデルとなるケースとの出会いを、今後も、イベントや合説に求めていく。

三原勇希×田中宗一郎 POP LIFE: The Podcast #37 人類補完計画完成まで、あとわずか Guests: 柴那典&宇野維正

柴那典と宇野維正をゲストに迎えたインターネット回の最終回。柴那典の心のふるさとは、ミヒャエル・エンデの『鏡の中の鏡―迷宮』だという。これはドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデ1984年に発表した短編集である。
大学図書館で『鏡の中の鏡―迷宮』を借りて読んでみた。30の話すべてが、「何かを求める人がそれを得られない」ことを語っている。一遍一遍がヴィジュアルに訴えかけてくるようで、印象深く、切ない。
田中宗一郎の心のふるさとは、漫画『カムイ伝』だという。一方、宇野維正、三原勇希にとって、心のふるさとにあたる漫画や小説はない。リアルライフに専念してきたからだ。宇野は言う。人格に影響を与えたような、人生を変えたような作品を持っていることこそが「エクストリーム」だと。
宇多丸が映画を好きになったきっかけの作品は『スター・ウォーズ』だ。そんな心のふるさとの物語を語れれば素敵だが、僕にはそういったものがない。「まだ出会ったことがない」と未来に希望を託すことも可能だが、どちらかといえば、僕の価値観、感覚は、いくつもの映画によって少しずつ矯正され、強化され、加速され、形作られたものであった。
決定的な一本が、ない、という事態を「普通だ」と言って安心させてくれたこのポッドキャストには感謝している。リアルライフが形作ってきた私を、私が誇れるように。
open.spotify.com

大好きの罠、キャッシュレス、無償労働

『現代文化論 新しい人文知とは何か』第1場 文化とは何か―吉見俊哉

cultureは、「耕作cultura」というラテン語を語源とする。精神を「耕す」、という人間の修養、教養、知的・精神的・美的発達、啓蒙主義的な価値観を、「文化」という言葉は含みつつ、同時に、啓蒙主義が称揚する普遍的な〈文明〉に対して、それに回収されない個別の国や地域の固有の在り方や生活様式を正当化する。

この歴史的過程や両義的なダイナミズムを日本は全く意識せず、明治時代に西欧の文化を「文明」として輸入し(文明開化)、大正時代には消費生活に関わる美的な分野が「文化」として文化した。「文化」は「文明」から派生し、「教養」との境目は曖昧で、さらに「カルチャー」という言葉まで登場したから、その棲み分けはや構造はもはや溶融している。

昨日一読したが、あまり意味がつかめず、今日再読した。啓蒙主義が「近代化していない社会を「未開」「野蛮」と考え、そこの「貧困」や「無知」を文明化によって克服させなければならない」という思想でもあったことを思い返せば、理解は案外簡単だった。今後映画やその他ポップカルチャーを扱った論文を書きたい、と思ったときには、まず「文化」の意味を考えるところから出発したい。暗に「大好きだから」といって始めるものではない。

 

現代文化論 (有斐閣アルマ)

現代文化論 (有斐閣アルマ)

 

 

 
金融論(大学講義)

各国のキャッシュレス決済比率の状況によれば、韓国が最も高く89.1%、中国60.0%、アメリカ45%、日本は18.4%である。韓国は1997年のIMF通貨危機後、経済活性化と税収確保のためにキャッシュレス化を推進した。中国では利用者の心理的ハードルを下げる戦略が成功し、無料で便利なモバイル決済が爆発的に普及。アメリカはクレカ決済が支配的で、モバイル決済が主流になりづらいという。日本はATM台数が多く、またその手数料は銀行の重要な収入であり、キャッシュレス化が遅れた。また治安がよく偽札の心配も少ないことから現金への執着が強いらしい。

僕自身は、ATMに行くのはsuicaへのチャージ金を引き出すため、くらいで、あとはpaypayとクレカで支払いをしている。現金に1円も入っていなくても、全く心配にならない。一方で小規模経営の書店や居酒屋、映画館などではカードさえ使えないときもあり、不便さを感じている。2020年代の終わりごろには、現金決済こそがイレギュラーであることを願う。

 
三原勇希×田中宗一郎 POP LIFE: The Podcast #36 ディストピア小沢健二がやって来た! Guests: 柴那典&宇野維正

インターネットについて語る3回シリーズの第2回。映画批評特集の際には全くわからなかったが、柴那典さんのしゃべりのなんと力強く面白いこと。博学でよく考えていて、わかりやすい。とくにIoTの話だ。インターネット・オブ・シングス。いままでネットにつながっていなかったモノがネットにつながる。ここまでは分かっていた(他の出演者は本当に知らなかったのだろうか。コナンを観ていないのか!)。ネットにつながったモノ同士が相互に作用する状態が「スマート」だ(スマート家電、スマートホーム)。そうした状態が粋で賢い、とされている。そして、今まさに私たちは、ネットにつながっている。この「スマート」な在り方で、例えばキャンセルカルチャーなんかを説明できる、と。ネットの中で相互に作用しながら、誰かを締め出したり、炎上させたりしている。インターネット・オブ・ピープル。ネットは閲覧するものではなく、そのつながりのこと、仮想空間的な広がりのことを指す。

コミュニケーション資本主義に近いことも話していた。人々の情動のやり取り、コミュニケーションが余剰価値を生む。SNS上で情報を生産し、また消費している人たちはプロシューマ−と呼ばれ、彼らは情動労働とも言える労働を、企業に対して無償かつ無自覚で行っている。こうした仕組みがコミュニケーション資本主義だ。僕がはてなブログで記事を発信することも、はてなにとっては無償労働だ。僕がブログを開けば、僕のブログに「広告」という余剰価値を生むスペースが発生する。ぼくはその広告で得た収入は、今のところ一銭も貰えていない。だが無自覚でないことだけは意識していきたい。SNSから逃げてきた、と思ったが、はてなブログもまた、コミュニケーション資本主義を実践する場だった。いつかはそうした企業からは、スタンドアローンな場で記事を書いていきたい。

open.spotify.com

 

Non progredi est regredi:前進せぬは後退なり

一年前、映画「クレイジー・リッチ!」に影響されてその名を冠した映画ブログ『クレイジー・ウォッチ!』を開設。『斬、』や『ヘレディタリー/継承』など公開当時の考察をアップしていた。しかし内容の濃さに比べて読者がつかず、業を煮やした私は2019年の年明けとともにnoteを開始し、今年12月までに2万2千人のフォロワーを獲得した。

2019年様々な映画を観ていく中で、エンタメに対する私の価値観も変わった。異国の政治情勢や、宗教的対立、歴史的事件や偉業を物語の中で理解しても、現実と闘ったことには、全くならない。やはり必要なのは、良質なメディアであり、旅であり、データであり、対話である。200本。気づくまでに時間を要した。

このブログ『ノクトゥア』では、読んだ本や最新映画、面白かったポッドキャスト、大学の講義、Lobsterrで気になったニュースなどを紹介していく。ビジネス(主にコンテンツビジネス)、テクノロジー、哲学、ジェンダー、人権、環境などへの関心を背景に、一日一記事はアップできるように努めたい。

タイトルはラテン語のことわざだ。noteの初投稿も「完璧より前進」という題だった。進み続けるしかないのである、私たちは。そのために、好きを絶やさず、知識を吸収し、情熱に薪をくべ続けねばならない。