ノクトゥア

大学生のための「思考の種」

大好きの罠、キャッシュレス、無償労働

『現代文化論 新しい人文知とは何か』第1場 文化とは何か―吉見俊哉

cultureは、「耕作cultura」というラテン語を語源とする。精神を「耕す」、という人間の修養、教養、知的・精神的・美的発達、啓蒙主義的な価値観を、「文化」という言葉は含みつつ、同時に、啓蒙主義が称揚する普遍的な〈文明〉に対して、それに回収されない個別の国や地域の固有の在り方や生活様式を正当化する。

この歴史的過程や両義的なダイナミズムを日本は全く意識せず、明治時代に西欧の文化を「文明」として輸入し(文明開化)、大正時代には消費生活に関わる美的な分野が「文化」として文化した。「文化」は「文明」から派生し、「教養」との境目は曖昧で、さらに「カルチャー」という言葉まで登場したから、その棲み分けはや構造はもはや溶融している。

昨日一読したが、あまり意味がつかめず、今日再読した。啓蒙主義が「近代化していない社会を「未開」「野蛮」と考え、そこの「貧困」や「無知」を文明化によって克服させなければならない」という思想でもあったことを思い返せば、理解は案外簡単だった。今後映画やその他ポップカルチャーを扱った論文を書きたい、と思ったときには、まず「文化」の意味を考えるところから出発したい。暗に「大好きだから」といって始めるものではない。

 

現代文化論 (有斐閣アルマ)

現代文化論 (有斐閣アルマ)

 

 

 
金融論(大学講義)

各国のキャッシュレス決済比率の状況によれば、韓国が最も高く89.1%、中国60.0%、アメリカ45%、日本は18.4%である。韓国は1997年のIMF通貨危機後、経済活性化と税収確保のためにキャッシュレス化を推進した。中国では利用者の心理的ハードルを下げる戦略が成功し、無料で便利なモバイル決済が爆発的に普及。アメリカはクレカ決済が支配的で、モバイル決済が主流になりづらいという。日本はATM台数が多く、またその手数料は銀行の重要な収入であり、キャッシュレス化が遅れた。また治安がよく偽札の心配も少ないことから現金への執着が強いらしい。

僕自身は、ATMに行くのはsuicaへのチャージ金を引き出すため、くらいで、あとはpaypayとクレカで支払いをしている。現金に1円も入っていなくても、全く心配にならない。一方で小規模経営の書店や居酒屋、映画館などではカードさえ使えないときもあり、不便さを感じている。2020年代の終わりごろには、現金決済こそがイレギュラーであることを願う。

 
三原勇希×田中宗一郎 POP LIFE: The Podcast #36 ディストピア小沢健二がやって来た! Guests: 柴那典&宇野維正

インターネットについて語る3回シリーズの第2回。映画批評特集の際には全くわからなかったが、柴那典さんのしゃべりのなんと力強く面白いこと。博学でよく考えていて、わかりやすい。とくにIoTの話だ。インターネット・オブ・シングス。いままでネットにつながっていなかったモノがネットにつながる。ここまでは分かっていた(他の出演者は本当に知らなかったのだろうか。コナンを観ていないのか!)。ネットにつながったモノ同士が相互に作用する状態が「スマート」だ(スマート家電、スマートホーム)。そうした状態が粋で賢い、とされている。そして、今まさに私たちは、ネットにつながっている。この「スマート」な在り方で、例えばキャンセルカルチャーなんかを説明できる、と。ネットの中で相互に作用しながら、誰かを締め出したり、炎上させたりしている。インターネット・オブ・ピープル。ネットは閲覧するものではなく、そのつながりのこと、仮想空間的な広がりのことを指す。

コミュニケーション資本主義に近いことも話していた。人々の情動のやり取り、コミュニケーションが余剰価値を生む。SNS上で情報を生産し、また消費している人たちはプロシューマ−と呼ばれ、彼らは情動労働とも言える労働を、企業に対して無償かつ無自覚で行っている。こうした仕組みがコミュニケーション資本主義だ。僕がはてなブログで記事を発信することも、はてなにとっては無償労働だ。僕がブログを開けば、僕のブログに「広告」という余剰価値を生むスペースが発生する。ぼくはその広告で得た収入は、今のところ一銭も貰えていない。だが無自覚でないことだけは意識していきたい。SNSから逃げてきた、と思ったが、はてなブログもまた、コミュニケーション資本主義を実践する場だった。いつかはそうした企業からは、スタンドアローンな場で記事を書いていきたい。

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