ノクトゥア

大学生のための「思考の種」

クオリティ・コントロール

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

スター・ウォーズシリーズ最新作。『フォースの覚醒』のJ.J.エイブラムスが再び監督に就任し、1977年『新たなる希望』に始まるスカイウォーカー・サーガの幕引きを図った『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』。

その感想は「疲れた」だ。前作『最後のジェダイ』で過去作との繋がりを断ち切り、新たなスター・ウォーズの物語への出発を準備したにもかかわらず、本作はまたオリジナル3部作をベースにした、お行儀の良いスター・ウォーズへと急旋回している。遠心力が強すぎて飛ばされそうになったが、何とかJ.J.の意図を掴んで離さずいることに疲れてしまったのだ。

正直に言えば、僕は『最後のジェダイ』を嫌ってはいない。むしろ好きだ。歴史主義、権威主義的なSWはEP7まで、EP8を経てからは現代向けにアップデートされたSWがつくられてくだろうとわくわくしていた。監督ライアン・ジョンソンの悪名高き野心に惹かれてすらいたのである。ここまでSWを悲惨なことにしてくれて、どうもありがとう!!オールドファン、ざまあ見ろ!!という感じであった。

がSWは元の鞘に収まった。EP9でJ.J.はレジェンドキャラを総出演させ、レイの出自に重要な設定を後付けし、スター・ウォーズの作法や文脈に則った、「SW偏差値の高い」作品に仕上がっている。シリーズを観てきた人をあらゆる手を尽くして労う、ファンにやさしい最終章。チューバッカにメダルをあげるなど余計なこともしている。

単体の作品として悪いわけではない。EP7ほどいいバイブスが出ているわけではないが、J.J.は頑張っている。が製作の紆余曲折(コリン・トレヴォロウ監督の降板、『ハン・ソロ』の興行的失敗など)を考えると、シリーズの締め括りとしてはあまりに不格好過ぎはしないか。初めからJ.J.が3部作通して関与するか、ディズニーがクオリティ・コントロールをきちんと行うべきだった。そもそも「シークエルの最終作」と「スカイウォーカー・サーガの最終作」を重ねてしまっては、何のために現代にスター・ウォーズが蘇ったのか分からないのでは。

カイロ・レンの物語は一貫性があり好感が持てる。彼のライトセイバーグリップを模したペンダントを買ってしまった。ライアン・ジョンソンのお膳立ても水の泡と消えてしまったいま、レンの物語とスター・ウォーズが歩み得た可能性の溺死体の歴史を抱きしめて、力強く歩いていきたい。